あれからもう7年か、まだ7年か、人それぞれ感じかたは違うと思いますが、私はもう
7年かと感じています。
あの日 午前中に前に勤めていた会社の上司と営業廻りした後、大宮の事務所に
戻ろうと誘われたのを振り切って、一人で客先廻りしている最中に、川口駅東口の
デッキを歩いている時でした。ぐらっときたので、隣接している図書館の入っている
公共の建物に逃げ込みました。天井についている大きな照明器具が大きくゆっくり
揺れているのと全面ガラス張りのガラスを周りの人と一緒に静かに見守っていました。
いつもとは違う地震だとは思ったが、ひどく冷静だった気がします。
しかし、揺れがおさまって一部隆起したデッキを通って駅に行くと、JR線が止まってい
る放送が流れ、あわただしい雰囲気になってきて、阪神淡路大震災の高速道路陥没
の映像が思い出されてきました。携帯もつながらない状況ですぐに歩いて自宅、
に戻ろうと決心しました。国道を通って荒川大橋を渡り、住宅街に入ると工事中の
マンションの現場が動いている様子や、人々の日常が変かわらない様子で、少し安堵
しながらも家路を急ぎました。2時間近くかけて家に着くと、1年前に癌で余命1年も
もたないもしれないと言われた母がベッドに横たわっていました。
テレビではまだ、横浜のビルのタイルが落ちてきたというニュースくらいで、母が「何で
帰ってきたの」との問いに、本当は大変なことではなったのではないか、なぁんだという
気持ちとほっとした気持ちになりました。その後、津波、帰宅困難者,福島原発の事故の
報道と、計画停電で暖房がない事務所の寒さと、何事も自粛という次々におこる事柄
に記憶が途切れ途切れになっていくが、7年経って改めて東日本大震災を振り返ると、
その2ヶ月後に亡くなったあの時の母の照れたような、はにかんだ笑顔がよみがえります。
タラ